学生トライアスリート雑記

練習記録とレースレポートと+α

「嫌と向き合うこと」

人間、暇だとどうでもいいことばかり考えるというのは真理で、日々を忙しく過ごしていればあれこれどうでもいいことを考える暇もなくあっという間に時間だけが過ぎていく。そういう過ごし方もまた、きっとあるべき1つの生活の形だし、その節目節目に時間をかけて真正面から向き合わないといけないけど、実は忙しくしていてもそのついでにできてしまうことで、そこにどうでもいいことを考える余裕なんて必要なくて、しっかりとその合間合間に意識さえ保っていれば順調に事が運ぶのでは、と思った。そりゃ失敗とか不運とかはあるかもしれないけど、暇を持て余してどうでもいいことばかりを考えるのに時間を費やすのは無駄だし不毛だし、きっとそこには何も残らない。必要なのは節目に決めたタスクや及第点をこなしていくことで、それをまた節目ごとにチェックして調整と見直しをはかることぐらい。それ以外の時間は全て盲目的な前進に注ぐことのが効率と能率を上げるコツであり、暇な時間をどうでもいいことに割くことなんていうのはやはり無駄でしかない。さて、何から始めようか。嫌なことが多すぎる。この嫌という感情でさえ暇から齎されるどうでもいいことなのか、それとも無視できない重要なポイントなのか、乗り越えるべき課題なのか。結局のところそれはそれぞれが答えだし、それと同時に答えじゃない。どの方向からでもその先に行き着く人は行き着くし、そのためにはどの方向を選んだとしても前に進むことが肝心で、その場に立ち止まって暇を持て余しながらどうでもいいことばかり考えていれば死んでしまう。思いついたことは、とりあえずやればいい。あとはそれを続けられるように管理していくだけ。そうやって暇な時間を少しずつ削っていき、無意識な時間を増やして定期的にチェックする。これこそが自己管理であり、コントロールであるのだと思う。それをなんのためにやるかなんて、それは結局のところどうでもいいことを考えないために行うことなのだ。飽きないように。我に返ると飽きてしまうから。いや、我に返らないことが肝心か?本当にそうなのか?あっちこっち右往左往ふらついてもいいじゃないか。正解なんかなくて、大切なのは自分で自分をしっかり認識できているかどうかということで、コントロールできているかということで、そのために適宜見直しをしてそれを受け入れ、今後の対策と方針を練ることが必要なのかもしれない。他人のことだったらなんとなくできそうなのにな。ただ客観視というのは難しくて、目で見ようとするのではなく事実を根拠としたデータから割り出すのが現実的な対策で、他人のことだったら考えられることも自分のこととなるとどうしても自分フィルターがかかってしまう。現実を見ないことと対策をしないことは全くの別作業。ああ嫌だ。嫌気しかない。嫌なんだ。仕方ないよ。嫌なんだから。嫌なことしかない。嫌でさえなければ。なんでこんな嫌なんだろう。全部わかってるんだ。でも嫌だろうがしょうがない。嫌だろうが、嫌であろうが、それでもやっぱり嫌なんだ。嫌なことは嫌だ。じゃあどうするか。この嫌気を無視するために無意識に没頭するのが正しい。きっと。それは無視しているだけで、嫌が消えて無くなっている訳じゃない。嫌と向き合うことは、嫌という事実を受け入れることなのか、あるいは嫌という感情に立ち向かうことなのか。今はまだそのどちらもできていない。この先はどうだろうか。

 

---------------

11/13 23:51